要旨
DNARは「何もしない」という意味ではなく、心肺停止時に心肺蘇生を行わないという本人の意思を尊重する考え方です。
救急隊は「命を救う」ことを使命としていますが、本人が望まない蘇生処置を行うことについても考える必要があります。
現場で家族や施設職員から「DNARです」と言われても、本人の意思や具体的な内容を確認する必要があります。
DNARだから搬送しない、DNARだからすべての処置をしない、という意味ではありません。
救急隊員個人が生死を決めるのではなく、地域のプロトコルや医師・メディカルコントロールの指示に基づいて対応することが重要です。
救急隊が現場で迷わないためには、本人・家族・医療・介護関係者によるACP(人生会議)と情報共有が重要です。
DNARへの対応で大切なのは、「蘇生するか、しないか」だけではなく、本人がどのような最期を望んでいたのかを尊重することです。
仮に明確なDNARであっても必要最小限の心肺蘇生術は行います。
詳細解説
救急隊の活動において、最も基本となるのは傷病者の生命を救うことです。心肺停止状態の傷病者に接触した場合、速やかに状態を確認し、必要な処置を開始して医療機関へつなげます。それが救急隊に求められる重要な役割です。
しかし、実際の救急現場では、「この人は心肺蘇生を望んでいません」「DNARです」と家族や施設職員から伝えられることがあります。ここで救急隊が直面するのが、「救命すること」と「本人の意思を尊重すること」の間に生じる難しさです。
DNARとは、心肺停止となった際に心肺蘇生を行わないという意思を示すものです。ただし、DNARを「何もしないこと」と捉えてはいけません。心肺蘇生を行わないことと、苦痛を取り除くことや必要な医療を受けること、家族に寄り添ってもらうことなどは別の問題です。
例えば、本人が心肺蘇生を望んでいなかったとしても、呼吸が苦しいときには苦痛を和らげてほしい、できる限り自宅で過ごしたい、家族にそばにいてほしいなど、さまざまな希望を持っている可能性があります。
つまりDNARとは、「この人には何もしない」ということではなく、心肺停止時の心肺蘇生について本人がどのような意思を持っているかという問題なのです。
救急隊にとって特に難しいのは、心肺停止している本人から直接意思を確認できないことです。
例えば、自宅で高齢者が心肺停止となり、家族から「本人は前から蘇生されたくないと言っていました」と伝えられたとします。家族の話は重要な情報です。しかし、救急隊員がその場で確認できるのは、家族から伝えられた情報です。
私が隊長の現場でもちょくちょくありましたが、次の5点を確認できるまでは心肺蘇生術は実施していました。
1 医師のDNARに対する意見書(同意書)
2 本人の意思確認ができる書面(1に含む場合も多い)
3 家族の総意(一人でもDNARに反対なら救命処置を実施します。)
4 医師引継ぎまでは心肺蘇生は継続することの同意
5 上記意見書を書いた医師と電話などによる直接確認と受け入れ同意。
本人がいつ、どのような状況でその意思を示したのか。医師や看護師と話し合っていたのか。書面などで意思が残されているのか。家族は本人の意思をどこまで理解しているのか。確認しなければならないことは多くあります。
しかも、心肺停止の現場では時間が非常に重要です。時間が経過するほど救命の可能性は低下します。そのため救急隊員は、情報を集めながらも迅速に判断しなければなりません。
この「時間的な制約」と「本人の意思を慎重に確認する必要性」の両方が、DNAR対応を難しくしています。
また、救急現場では「DNAR」という言葉だけが一人歩きしてしまうことにも注意が必要です。
「DNARだから何もしなくていい」
「DNARだから病院には行かなくていい」
「家族が蘇生を望んでいないから蘇生しなくていい」
このように単純に考えてしまうと、本来の本人の意思とは異なる対応になってしまう可能性があります。
DNARは、あくまで心肺蘇生についての意思です。本人がどのような医療を望んでいるのか、急変した場合にどこで過ごしたいのか、どのような処置を受けたいのかという問題については、別に考える必要があります。
一方で、本人が人生の最終段階にあり、医師や家族と十分に話し合ったうえで、「心肺停止した場合には蘇生を受けたくない」と明確に意思を示していたのであれば、その意思を尊重することも重要です。
救急隊員の大きな葛藤
救急隊は「救える命を救う」という使命を持っています。しかし、すべての人が「どんな状態でも、とにかく長く生きたい」と考えているわけではありません。
長い闘病生活の中で、本人が「これ以上、胸骨圧迫などの処置を受けるのではなく、家族に囲まれて静かに最期を迎えたい」と考えている場合もあります。その人にとっては、心肺蘇生を受けないことも本人の人生観に基づいた選択なのです。
したがって、本人の意思を尊重することは、救急隊が救命を諦めることと同じではありません。
むしろ、「この人はどう生きたいのか」「最期にどのような医療を望んでいるのか」を考え、その意思に沿った対応をすることも、傷病者を大切にする救急活動の一つと考えることができます。
厳しいことを言いますが、救急要請した時点で「黙示の了解」が成立します。つまり、医師引き継ぎまでは必要な医療行為の実施を認めるということです。
「高齢だから」
「寝たきりだから」
「重い病気があるから」
という理由だけで、心肺蘇生を行わないと判断することは適切ではありません。
重要なのは、あくまで本人が何を望んでいたのかということです。
そのためには、救急隊が到着してから初めて話し合うのではなく、普段から本人、家族、医師、看護師、介護職員などが話し合っておくことが必要です。
ACP、いわゆる人生会議の大切さ
人生の最終段階でどのような医療を受けたいのか。どこで過ごしたいのか。心肺蘇生を受けたいのか。自分で意思を伝えられなくなった場合には、誰に自分の意思を代弁してほしいのか。
こうしたことを元気なうちから話し合っておけば、いざというときに家族が「どうすればいいのか分からない」という状況を減らすことができます。
救急隊にとっても、本人の意思が明確にされ、それが家族や医療・介護関係者の間で共有されていれば、現場での判断がしやすくなります。
反対に、何も準備されていない状態で突然心肺停止となり、家族から「本人は蘇生されたくないと言っていました」と言われた場合、救急隊員は非常に難しい判断を迫られることになります。
だからこそ、DNARは救急隊だけの問題ではありません。
医師、看護師、介護職員、施設職員、家族、そして本人自身が、それぞれの立場で「もしものときにどうしたいのか」を考えておく必要があります。
救急隊目線でDNARを考えたとき、これは単純に「蘇生するか、しないか」という問題ではありません。
目の前の傷病者を救いたいという救急隊の使命と、その人が自分の人生について決めた意思を、どのように両立させるかという問題です。
救急隊員は、傷病者を救命するための知識や技術を持っています。しかし、その人が「何をもって最善とするのか」まで決めることはできません。
だからこそ、本人が元気なときから自分の希望を家族や医療・介護関係者に伝えておくことが重要になります。
救急隊は、基本的には医師以外の言葉は参考程度にしかしません。
救急現場で救急隊員が「どうするべきか」と悩む状況を減らすためにも、平時から本人の意思を確認し、関係者で共有しておくことが必要です。
DNARという言葉を「命を諦めるための言葉」にしてはいけません。
それはむしろ、本人が最後まで自分らしく生きるために、どのような医療を受けたいのかを考えるための一つの手段です。
救急隊に求められているのは、機械的に心肺蘇生を行うことでも、家族の言葉だけを聞いて蘇生を中止することでもありません。
限られた時間の中で情報を集め、本人の意思を可能な限り確認し、必要に応じて医師やメディカルコントロールと連携しながら、その人にとって適切な救急活動を行うことです。
これから高齢化や在宅医療が進めば、救急隊がDNARのある傷病者に接する機会はさらに増えていくと考えられます。
だからこそ、救急隊員一人ひとりがDNARについて正しく理解するとともに、医療・介護関係者や家族にもその意味を理解してもらう必要があります。
救急隊にとってDNARとは、「救命しない」という単純な話ではありません。
「目の前の命を救うこと」と「その人が望んだ生き方を尊重すること」をどう両立させるのか。
それを考えることこそが、これからの救急活動に求められているのではないでしょうか。
優し過ぎる者は救急隊員には向かないかも知れませんね。個人的には「鬼手仏心」が無ければ、厳しいかも知れません。部下にはそこら辺の教育はしてきたつもりです。


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